日本を代表する新旧様々なジャンルのアーティストをご紹介しています。

気になった作品が見つかれば、ぜひアーティストのSNSやオフィシャルサイトをご覧ください。
(本ページに掲載されている写真やプロフィール、作品画像等は、アーティストご本人からの提供だけでなく、当協会がインターネット内の情報等を引用して掲載しているものもございます。予めご了承ください。)

 会田 誠 

会田 誠 (あいだ まこと、1965年10月4日  - )は、日本 の現代美術家、アーティスト ミヅマアートギャラリー 所属
新潟県立新潟南高等学校卒業後、代々木ゼミナール造形学校を経て、1989年東京芸術大学油画専攻卒業、1991年東京芸術大学大学院修了(油画技法材料第一研究室:佐藤一郎)。在学中に小沢剛、加藤豪らと同人誌『白黒』(1 - 3号)を発行。1993年、レントゲン藝術研究所で開催された「fo(u)rtunes part2」でデビュー。
2003年には、会田自身の制作を追ったドキュメンタリー映画『≒会田誠』(ビー・ビー・ビー株式会社)が公開。
2005年、写真「Girls Don't Cry 2003」の一つが香港クリスティーズにおいて9253ドル(約110万円)で落札された。
2012年11月10日には渡辺正悟監督によるドキュメンタリー映画『駄作の中にだけ俺がいる』が公開。2013年、第8回安吾賞受賞。

 荒川 修作

世界の著名な哲学者や分子生物学者に注目され2005年にはパリ第10大学で、2008年にはペンシルベニア大学で荒川修作+マドリン・ギンズをめぐる国際カンファレンスが開催。国内の諸々の講演会等においては宮崎駿、養老孟司、茂木健一郎、利根川進他、多くの分野の人々との場において芸術・科学・哲学などにわたる自身の深遠な知見に基づき際立って独特な印象を残す言い回しで語りかけた。近年ではテレビ・雑誌・webなどのメディアへの登場も少なくなく、出身小学校で授業を行うNHKの教育番組『課外授業 ようこそ先輩』に出演した際は、本人の記憶違いから出身校の名古屋市立御劔小学校ではなく同市立瑞穂小学校で収録が行われたが、局を批判する声にも「非難する方がおかしい。私は自分の名前もよく忘れる。」と意に介さなかった。2010年5月19日、ニューヨーク市内の病院にて死去。73歳没。また、2014年1月8日、妻のマドリン・ギンズが死去。
日本時間の2021年7月6日、Google Doodleで彼の作品「三鷹天命反転住宅」のイラストが紹介された。

 安藤 正子

安藤正子は1976年愛知県生まれ。2001年愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。奈良美智や杉戸洋など、多くのアーティストに影響を与えた櫃田伸也のもとで絵画制作を学ぶ。主に鉛筆画と油彩画を手がけ、繊細な描線と、幾重にも塗り重ねた色彩で深い奥行きを表現。油彩画は、絵具を置いてはその都度、筆や手のひらで薄く叩き伸ばし、紙やすりで磨くことにより、磁器のように滑らかに仕上げた表面が特徴。自身のなかに蓄積する記憶や言葉の断片と現実の事象とを織り交ぜながら、子供や動物、昆虫、草花などの生き物を描く。主な個展に「ハラ ドキュメンツ9 安藤正子―おへその庭」(原美術館、東京、2012)、「Songbook」(8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery、東京、2016)など

 石田 徹也

蒸気機関車やビニール袋、便器などといった日常生活で使用するものと一体化した青年を題材とすることが多い。題材としている青年はほとんどが同じような顔をしており、作家本人と似ているが本人は否定している。後期作品ではメッセージ性を抑制し、より抽象的な作風になっていくが、これにはテーマは押し付けるものではなく、観た人がそれぞれ好きに感じてくれればいいという意図がある。
2005年5月、踏切事故で死去。31歳没

 岡本 太郎

日本の芸術家。
1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。
1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、通産官僚の堺屋太一ら主催者(国)は紆余曲折の末、テーマ展示のプロデューサー就任を要請した。岡本は承諾すると、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、出来上がったのが『太陽の塔』であった。
この日本万国博覧会は各方面に影響を与えた。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』の永久保存が決定。現在も大阪万博のシンボルとして愛されている。同時期に制作されたのが、前述の『明日の神話』であり、制作依頼者である実業家の破産の影響で長らく行方不明となっていたが、21世紀に入り発見される
 

 鴻池 朋子

鴻池朋子は1960年秋田県生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。玩具、雑貨の企画デザインに携わった後、98年よりアーティスト活動を開始。絵画、彫刻、アニメーション、絵本などの手法を駆使したインスタレーションで現代の神話を描き、おとぎ話研究、考古学、人類学などと協働したプロジェクトを重ね、芸術への問い直しを試みている。
また、現在の秋田の物語や地形、山や森の情報を集めて再編集する「東北を開く神話」展、秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」、歴史には記されない現代の民俗を記録する「物語るテーブルランナー」などの継続的なプロジェクトを各地で行う。そのほか、独自のキャラクターが登場するアニメーションや絵本の制作、小説の挿絵、展覧会企画なども展開。

 樫木知子

日本画を学んできた樫木の作品は、シュルレアリスムの作品と比較されることもあるが、その「とろけたような」主題と個性的な技法は、樫木が持つ特徴の一つである。また、東日本大震災など、日本国内の自然災害による社会の不安からの逃避を視覚的に表現した作品も見られる。
2011年、ニューヨークのジャパン・ソサエティーで開催された"BYE BYE KITTY!!! Between Heaven and Hell in Contemporary Japanese Art"展に、15人の現代日本のアーティストと共に参加した

 樫原隆男

1970年 二科展 入選   1972年 国展 入選   1973年 京都教育大特修美術家卒 1 976年 独立3回連続入選  1982年 渡欧  1983年 三軌会会友優賞 受賞  1984年 三軌会会員推拳  1988年 渡欧  1989年 三軌会会友優賞 受賞  1997年 三軌会展文部大臣奨励賞  2005年 三軌会にて損保ジャパン奨励賞  2006年 25回損保ジャパン選抜にて秀作賞
2017年 渡欧  
現在 三軌会審査員
2023年現在までに全国有名百貨店美術画廊等にて毎年個展開催

 川島 秀明

川島秀明は1969年愛知県生まれ、91年東京造形大学卒業。95年から97年にかけて比叡山延暦寺での仏道修行などを経て、2001年にアーティスト活動を開始する。初期の作品では、性別や年齢もわからない「顔」のみを空中に漂わせた絵画を発表し、10年頃から人だと判別できるポートレイト作品へと変化。近年は背景のある画面に複数人を描き、それまで一貫して自己の内面に向けていた視点に客観性が加わって新たな展開を見せている

 河原 温

日本の美術家。
1950年代から芸術活動を始め、グロテスクな「浴室」シリーズ、「物置小屋の出来事」などの鉛筆素描の連作は現在でも高い評価を得ている。その後、「印刷絵画」の実験的な試みや、言語による作品を制作した時期、数年間のメキシコ滞在を経て、1965年頃からニューヨーク市を拠点として活動していた。 コンセプチュアル・アートの第一人者として海外で高い評価を得ている。 公式なバイオグラフィーは「29,771 days」とだけ記載されている。

 加山又造

1927年、京都府京都市上京区相国寺東門前町に西陣織の図案家加山勝也の子として生まれる。京都市立美術工芸学校(現  京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現  東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。1950年、春季創造美術展に「自画像」「動物園」が初入選、研究会賞を受賞。1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授に就任。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた[1]。1970年代末からは水墨画にも取り組んだ。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。2004年、肺炎のため東京都の病院で死去。

 岸田 劉生

岸田 劉生 (きしだ りゅうせい、男性、1891年 明治 24年〉6月23日  - 1929年 昭和 4年〉12月20日 )は、大正 から昭和 初期の洋画家 。父親は新聞記者 実業家 岸田吟香

 絹谷幸二

絹谷 幸二(きぬたに こうじ、1943年生まれ)は、日本の画家。東京藝術大学を経て1971年のイタリア留学によってアフレスコ(壁画技法)をさらに深め、帰国後、歴代最年少にて画家の登龍門である安井賞を受賞。多彩な技法を駆使し、エネルギーに満ちあふれた独自の画風を確立した。現在はシュルレアリスムと抽象表現主義を総合したような画面構成に漫画的吹き出しを組み込む事で、現代的な具象画の探求を行っている。1997年には長野冬季オリンピック・ポスターの原画制作、2008年には渋谷駅の壁面にパブリック・アートを設置、2014年には文化功労者に選出され、美術と社会を結びつける幅広い活動も行っている。

 草間 彌生

1993年 ヴェネツィア・ビエンナーレ に日本代表として日本館初の個展を開く 。これを機に世界的に再評価する動きが高まった。2009年 には正方形の絵画群である「わが永遠の魂」シリーズの作成を始める 。同年にau iida ブランドの端末をプロデュース、2012年 にはルイ・ヴィトン との共同コレクション(マーク・ジェイコブス によるディレクション)を発表するなど 、商業分野での活動も盛んに行なっている。2016年、『タイム』誌の世界で最も影響力がある100人に選ばれた

 熊澤未来子

鉛筆によるモノクローム作品を制作してきた熊澤未来子。2015年の個展では、精密で圧倒的な世界を描いた自己最大の作品《鬼の子の木》を発表し、強烈な印象を残した。  熊澤は16年より新たな試みとして独自の色彩表現に取り組んでいる。第一作目では、自由の女神やエッフェル塔、富士山などの名所を食べ物が埋め尽くす《世界食紀行》を手がけ、昨年度の菅楯彦大賞を受賞した。  本展では、鮮やかな色彩で描かれた新作3点と、鉛筆によるドローイング作品を発表する。

 黒田 清輝

黒田 清輝は、日本の洋画家、政治家。位階は従三位。勲等は勲二等。爵位は子爵。通称は新太郎。名の清輝は、本名は「きよてる」だが、画名は「せいき」と読む。教え子からは「メートル」とフランス語で呼ばれた

 近藤亜樹

2012年東北芸術工科大学大学院実験芸術学科修了。出会った人々や物、場所の記憶や感動を原動力に絵画作品を制作。映画制作やミュージシャンとのライブペイント、ホテルの客室での壁画制作など、形式にとらわれない作品発表やパフォーマンスでも知られる。2015年に初監督作品『HIKARI』が公開。主な個展に「たべる 地球」(シュウゴアーツ、東京、2012)、「近藤亜樹の生態」(実家 JIKKA、東京、2013)、「Works on paper 2011-2014」(シュウゴアーツ、2014)、「HIKARI」(シュウゴアーツ、2015)、「Artist」(シュウゴアーツ ウィークエンドギャラリー、東京、2015)、「HIKARI」(大和日英基金 大和ジャパンハウス、ロンドン、2016)、「From Island to Island」(TKG+、台北、2017)、「Grow Wings」(銀座蔦屋書店 アートウォールギャラリー、2018)、「飛べ、こぶた」(シュウゴアーツ、2017)、「あの日を待つ 明日を待つ 今日」(シュウゴアーツ、2018)、「ここにあるしあわせ」(シュウゴアーツ、2021)、「星、光る」(山形美術館、2021)、「わたしはあなたに会いたかった」(シュウゴアーツ、2023)、グループ展に、「高松市美術館コレクション+ 身体とムービング」(高松市美術館、香川、2020)など。「あいち2022」に参加。「PHANTOMS OF ASIA: Contemporary Awakens the Past」(Asian Art Museum、サンフランシスコ、2012)では東日本大震災を経験した後に描いた10メートルを超える大作《山の神様》(2011)が出展され話題を呼んだ。

 坂本 夏子

坂本夏子は2012年に愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程を修了。「絵画の庭 - ゼロ年代日本の地平から」(2010年・国立国際美術館、大阪)、「魔術/美術 - 幻視の技術と内なる異界」(2012年・愛知県美術館、愛知)、「であ、しゅとぅるむ」(2013年・名古屋市民ギャラリー矢田、愛知)、「はじまり、美の饗宴展すばらしき大原美術館コレクション」(2016年、国立新美術館、東京) など多数のグループ展に参加するほか、3ヶ月の滞在制作を経て行われた個展「ARKO 2013 坂本夏子」(2013年、大原美術館、岡山) も開催された。
これまで坂本の歪む空間とその世界観を強固にする独特の色彩、永遠に終わらない奇妙な戯曲の中に生きているかのような少女達は、わたしたちの中に強い印象を残してきた。そして2012年以後、絵画に宿る物語性を一歩後退させ、描く行為を前景化した表現へと変化し、坂本が常に問題意識として持っている、絵画の中にしか表すことができない空間への興味がさらに推し進められていく。それは、絵を描くという行為自体の反芻であり、絵画の普遍的な器としての美や強度を試す実験であると言えよう

 笹倉 鉄平

笹倉 鉄平(ささくら てっぺい、1954年11月7日  - )は、兵庫県出身の画家。「光の情景画家」と称され、様々な表情の光があふれる画風は、写実的でありながらも想像性に富み、"心が安らぐ"絵として、老若男女幅広いファン層を持ち、多くの支持を得ている。
画家デビュー以来、220作品以上の版画作品をはじめ、画集、詩画集、版画集、DVD作品集等が出版され、ポスターやポストカード、ジグソーパズル、カレンダー等のアートグッズも高い人気を保持し現在に至っている。
デビューから30年以上に渡り毎年、全国有名百貨店での個展・展覧会を多数開催。近年では、フランス、中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を美しい情景画として表現し世界へ伝えている。

 佐藤勝彦

旧満州国大連生まれ。現奈良県在住。
画壇に属さない画家として、独特の仏教観に根ざした豪放な書画を描き続けている。富士山と仏像を好むほか、朱色を多用し紙に余白を残さない点が特徴。作品を手がけるだけでなく、陶磁器や骨董品の蒐集家としても知られている

 塩田 千春

生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。
森美術館(2019年)、南オーストラリア美術館(2018年)、ヨークシャー彫刻公園(2018年)、K21-ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館(2016年)、高知県立美術館(2013年)、丸亀猪熊源一郎現代美術館(2012年)、国立国際美術館(大阪、2008年)を含む世界各地での個展のほか、シドニー・ビエンナーレ(2016年)、瀬戸内国際芸術祭(2010年)、キエフ国際現代美術ビエンナーレ(2012年)、横浜トリエンナーレ(2001年)などの国際展にも多数参加。

 志摩 欣哉

1943年    大阪に生まれる。 1961年    中央美術学園にて油彩画を学ぶ。       この頃より詩作を始める。 1963年   個人詩誌を刊行。美術コンクール等に出品。 1981年 パリに遊学しパリの街を描いた油彩画で個展。 1985年 美術企画プロモーターとして活動を開始。 1994年 この頃より宮沢賢治の童話を絵画化して個展を各地で開催。  同時に朗読イベントも開く。 2001年 テレビ出演    京都「花の里を訪ねて」関西テレビ       京都「鞍馬の火祭」関西テレビ       シリーズ「お能に行こう」12回番組 2011年 京都三条ラジオカフェにて     「朗読カフェの時間   です」プデュ212013   年    志摩 欣哉朗読20周年ライブ     「賢治へのイマージュ」開催出演  現在、彼は、宮沢賢治の詩や童話を素材にした絵あるいは、   お地蔵さんをテーマにした作品などを中心とした個展、また詩や絵本の朗読イベントで活動を続けています。

 白髪 一雄

兵庫県尼崎市 西本町に生まれる。生家は呉服商。尼崎市立第三小学校(現:尼崎市立明城小学校 )に入学。その後、新設された尼崎市立竹谷小学校 に編入して卒業。兵庫県立尼崎中学校(現:兵庫県立尼崎高等学校 )の在学時に絵画部に入ったことがきっかけで画家を目指すようになる[1] 。京都市絵画専門学校(現:京都市立芸術大学 )日本画科を卒業後、油絵 に転向。大阪市立美術研究所 に学ぶ

 菅木 志雄

1960年代 後半から70年代 にかけて台頭した「もの派 」 グループの中心メンバーである。もの派の作家は、石、鉄板、ガラス、電球、綿、スポンジ、紙、木、鉄線、ワイヤー、ロープ、革、油、水といった、「もの」自身を主題にするとともに、諸要素と空間の相互依存に焦点をあてた。自然的な物質と工業的な物質の出会いを探求し、それらを一過性の静止状態に配置することによって作品とした。

 杉戸洋

1970年に愛知県名古屋市に生まれた杉戸洋は、3歳から14歳までの少年時代をニューヨークで過ごしました。愛知県立芸術大学日本画科在学中(愛知県立芸術大名誉教授の画家・櫃田伸也の元生徒だった)から個展を開催しており、現在までに数多くの個展やグループ展を国内外で開催しています。

 鈴木 英人

1980年頃からイラストレーターとして活動を始める。鈴木のイラストは、『タンタン』の作者であるエルジェや、わたせせいぞうのように、グラデーションを実線で表すリーニュクレール様式が一つの特徴となっており、作中では車や海岸といったモチーフが良く使われる。 特に初期の作品ではアメリカ西海岸を思わせる風景をモデルにしたイラストが多い。また、わたせや永井博のイラストとともに1980年代を象徴するイラストレーターとして認知されている。1982年には、ロックバンドのヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバム『ベイエリアの風』の日本版のジャケットのイラストを製作した。ダイヤモンド社が発行していたFM情報誌『FM STATION』では1981年の創刊(プレ版を入れるとその前年)から1988年まで表紙を担当し、同誌の顔として広く人気を集めた。その他、東京書籍の英語教科書『NEW HORIZON』の表紙(1984年 - 1986年)、トヨタ自動車の乗用車「カリーナ」のカタログ表紙(1983年 - 1984年)、ライオンの男性向けシャンプー「TOP BOY」(絶版)のラベルイラストも手がけた。また、山下達郎、堀井勝美プロジェクトのジャケットデザインを数多く手がけており、山下のアルバム『FOR YOU』のジャケットは特に有名である。長年居住する逗子市の海岸をイメージしたイラストが、逗子市の公式ポスターに用いられている。

 鈴木ヒラク

日本 アーティスト 。“描く”と“書く”の間を主題に、平面・インスタレーション・壁画・映像・パフォーマンス・彫刻など多岐にわたる制作を展開し、国内外でドローイング の領域を拡張し続けている

 千住 博

日本の画家。学位は美術修士(東京芸術大学・1984年)。京都芸術大学附属康耀堂美術館館長・大学院芸術研究科教授、ヴァンクリーフ&アーペル芸術学校委員、公益財団法人徳川ミュージアム相談役。
湘南美術学院講師、河合塾講師、京都造形芸術大学学長などを歴任した。

 空山 基

愛媛県立今治北高等学校 を経て、1965年 (昭和40年)、四国学院大学文学部英文科 に入学する。大学時代は英文学 ギリシア文学 について学ぶ。1967年 (昭和42年)には、美術 を学ぶために中央美術学園 に入学。1969年 (昭和44年)に学校を卒業し、広告代理店 に就職。1971年 (昭和46年)にフリーランス イラストレーター として独立した。以後、エロティック かつメタリック な質感およびメカニカル な造形で女性を描いたイラストレーション は、世界的に高く評価されている。また、ソニー が開発したエンタテインメントロボット である AIBO  デザイン も手がけた。

 タカノ綾

埼玉県出身。多摩美術大学芸術学科卒業。主に少女をモチーフにし、日本の漫画やSF小説などさまざまな媒体に影響された作風で、幻想的な独特の世界を描く。現在、ハイティーン向け雑誌「Zipper」で『愛ごよみ』を連載中。
2001年、穂村弘の歌集『手紙魔まみ、夏の引越し(ウサギ連れ)』の表紙・挿画で注目を集める。2002年には、イギリスのロックバンド・フィーダーのアルバム『コンフォート・イン・サウンド』のジャケットに絵が使用された。2017年、パリのギャラリー・ペロタンで自身5年ぶりとなる個展「タカノ綾:ゼリゐ文明の書」が開催された。

 竹久 夢二

数多くの美人画 を残しており、その抒情 的な作品は「夢二式美人 」と呼ばれた[1] 大正ロマン を代表する画家で、「大正の浮世絵師 」などと呼ばれたこともある。また、児童雑誌や詩文の挿絵 も描いた。文筆の分野でも、歌謡 童話 など創作しており、中でも、詩『宵待草 』には曲が付けられて大衆歌として受け、全国的な愛唱曲となった。また、多くの書籍の装幀 、広告宣伝物、日用雑貨のほか、浴衣 などのデザイン も手がけており、日本の近代グラフィック・デザイン の草分けのひとりともいえる。

 立川 広己

1949年東京都品川区に生まれる
1972年武蔵野美術大学卒業
1986年上野の森絵画大賞展佳作賞
1991年現代洋画精鋭選抜展記念大展金賞受賞
1993年安井賞展出品
1994年全国花の大賞展招待出品
1995年作品「華宴」150号が経済
2017年ギャラリー 一枚の繪にて個展
産業省買い上げ
2005年NHK北九州支局テレビ出演
2008年テレビ東京 なんでも鑑定団出演
日本美術連盟会員 現在 自由美術協会会員

 辰野 登恵子

長野県岡谷市に生まれる。1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる。1970年、村松画廊で初めての展覧会を開催[4]。1972年、同大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。1974年、同大学大学院修士課程を修了。
1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた。
1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
2003年、多摩美術大学客員教授となる。2004年、同大学教授となる。
2013年1月1日、第54回毎日芸術賞を受賞。
2014年9月29日、転移性肝癌のため死去。64歳没

 田名網 敬一

  • 1936年‐東京都京橋に生まれる。実家は服地問屋
  • 1958年‐『花嫁と狼』(ポスター作品)で日宣美特選受賞。翌年に銀座で個展開催
  • 1960年‐武蔵野美術大学造形学部デザイン科を卒業し、博報堂に無試験で入社[3]
  • 1962年‐絵本『24時』・『卵形』を制作、発表。博報堂退社
  • 1975年‐「プレイボーイ」誌(日本版)のグラフィックデザインを手がける
  • 1991年‐京都造形芸術大学教授に就任。
  • 2019年‐GENERATIONS from EXILE TRIBEのオリジナルアルバム「SHONEN CHRONICLE」のジャケットを手掛けた。

 束芋

2005年 にはニューヨーク で個展を開催。同年、第12回日本現代藝術奨励賞 を受賞。2006年 朝日新聞 夕刊連載小説「惡人」(吉田修一 )の挿絵を担当した。読者からは、意表を突くその色彩、絵柄が話題となった。同年10月から2007年 2月、パリ カルティエ現代美術財団 にて個展「TABAIMO」展を開催した。同年、ヴェネツィア・ビエンナーレ のイタリア館の企画展に、招待作家としてドールハウス をモチーフにした作品「dolefullhouse」を出展した 2011年 、「束芋:断面の世代」で芸術選奨新人賞 美術部門受賞。

 坪内 好子

東京都に生まれる
2011年以前の経歴省略※
2011年  ポーランドのキエルチにて個展 
2014年  第7回 HSNGZHOU ART FAIRより毎年出品(中国・杭州)
2019年  CWAJ現代版画展に1997年より毎年出品
東京アメリカンクラブ、米国議会図書館、代官山ヒルサイドテラス 他
国内外にて個展多数
現在     日本美術家連盟会員

 谷口 智則

2004年『サルくんとお月さま』で絵本作家としてデビュー後、フランスで絵本『CACHE CACHE』を始め数々の絵本を出版。その後イタリア、台湾、中国、カンボジアなど海外でも数々の絵本を出版し活動している。絵本以外にも、広告やパッケージデザイン、商業施設の空間プロデュースなど多方面で活躍中。主な絵本に『100にんのサンタクロース』『サルくんとバナナのゆうえんち』など。
『くいしんぼうのクジラ』で第9回、『カメレオンのかきごおりや』で第12回ようちえん絵本大賞受賞。
大阪府四條畷市のPR大使も務め、四條畷神社参道に自身のギャラリーカフェzoologique(ズーロジック)も運営している。
「絵本作家 谷口智則展〜いろがうまれるものがたり〜」がふくやま美術館を皮切りに全国巡回中。

 鶴田 一郎

1987年5月から1998年5月まで続いたノエビアのCM「コスメティックルネッサンス」シリーズで起用されたことで有名となった。近年は美人画のみならず、現代の鶴田流琳派をテーマに「雪」「月」「花」や「海を渡る」、仏画などの大作にも挑んでいる。
独特の一重で切れ長の美人画は仏教美術に影響を受けたものだという。

 東郷 青児

東郷 青児は、日本の洋画家。本名は東郷 鉄春。夢見るような甘い女性像が人気を博し、本や雑誌、包装紙などに多数使われ、昭和の美人画家として戦後一世を風靡した。派手なパフォーマンスで二科展の宣伝に尽力し、「二科会のドン」と呼ばれた

 永井 博

徳島県徳島市出身。1970年からグラフィックデザイナーとして仕事を始め、1973年夏にアメリカへ40日間の旅行に出掛け、1974年にグアム島へ旅して風景に感銘を受け、以降の作風の原点となった。1975年からイラストレーターの湯村輝彦より指導を受け、1978年に独立する。1980年代以降に、大瀧詠一の『A LONG VACATION』、『NIAGARA SONG BOOK』などのレコードジャケットに代表されるトロピカルでクリアな風景イラストレーションを手がける。『A LONG VACATION』のジャケットは、CBSソニーより「アルバムジャケット特別賞」としてゴールドディスクを受賞した。大瀧のレコードジャケットによって独自の地位を築き、その他、サザンオールスターズ、松岡直也、石黒ケイ、藤原ヒロシと川辺ヒロシ、憂歌団、杉山清貴、西城秀樹など、多くのアーティストのレコード・CDジャケットを手掛ける。近年はAORのコンピレーション『breeze』シリーズ、ikkubaru『Amusement Park』、『brighter』、TEEN RUNNINGS『NOW』、サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』のジャケットのアートワークを担当した。

 名知聡子

2004年 には、愛知県名古屋市 にて個展を開催した 。また、2005年 には、東京都や愛知県北名古屋市 でのグループ展に出展しており、翌年には愛知県江南市 にて開催されたグループ展に出展している 2007年 損保ジャパン東郷青児美術館 による「第26回損保ジャパン美術財団選抜奨励展」に作品が選ばれた 。同年、愛知芸術文化センター による「新進アーティストの発見inあいち」にも作品が選ばれた 。そのほか、愛知県北名古屋市や名古屋市にてグループ展に出展した 2008年 東京オペラシティアートギャラリー Project N  32」に選ばれ、作品が展示された。

 奈良 美智

日本の画家・彫刻家。世界的に評価されている美術作家で、ニューヨーク近代美術館  (MoMA) やロサンゼルス現代美術館に作品が所蔵されるなど日本の現代美術の第2世代を代表するひとり。特徴的なこちらを見返す人物をモチーフにしたドローイングやアクリル絵具による絵画で知られる。

 東山魁夷

1999年、老衰のため90歳で死去、従三位、勲一等瑞宝章。生前、日展への出品作など代表作の多くを東京国立近代美術館と長野県に寄贈。長野県は長野県信濃美術館(現長野県立美術館)に「東山魁夷館」(谷口吉生設計)を増設し、寄贈された作品の常設展示にあてている。その他、少年時代を過ごした神戸市にある兵庫県立美術館、祖父の出身地である香川県坂出市の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」にも、版画を中心とする作品が寄贈されている[7]。戦後の復員直後から死去するまで暮らしていた千葉県市川市には、自宅に隣接して「市川市東山魁夷記念館」が開館した。また、美術学校時代のキャンプ旅行の途中、激しい夕立に遇った際に温かいもてなしを受けたことに感謝して後に寄贈された約500点の版画を収蔵する「東山魁夷 心の旅路館」が、岐阜県中津川市(旧長野県木曽郡山口村)にある。
2000年、福岡、東京や名古屋でパリ展帰国記念東山魁夷展。信濃美術館で東山魁夷館10周年記念展東山魁夷の世界。2004年、横浜美術館で東山魁夷展ひとすじの道。2005年、坂出市沙弥島で香川県立東山魁夷せとうち美術館開館記念展。市川市で市川市東山魁夷記念館開館記念特別展。2008年、東京、長野で生誕100年東山魁夷展。2018年、東京、京都で生誕110年東山魁夷展。

 ヒロ・ヤマガタ

ヒロ・ヤマガタ/HIRO YAMAGATA(1948年5月30日  - )は、画家・美術家である。滋賀県米原市出身。アメリカ在住。本名山形 博導(やまがた ひろみち)。
国内ではカラフルなシルクスクリーンアーティストというイメージが今なお強いが[ 要出典]、世界的にはむしろレーザーやホログラムを使った現代美術家として知られ、先端的なイリュージョニストとして現在も活動している。

 福井 篤

福井篤は1966年愛知県生まれ、89年に東京藝術大学美術学部油画科卒業。2012年より山梨県を拠点に制作活動を行う。少年時代に欧米のSFやコミックス、音楽の影響を受けており、社会のルールや国境、生きづらさから解放された理想郷的世界を絵画に描く。2019年の個展「アルカディアン」(小山登美夫ギャラリー、東京)では、「もしも100年前に、地球と地球外の文明とのオープンなコンタクトが起こっていたとしたら、もっと自由で驚きに満ちた世界になっていたかもしれない」をテーマに、地球外文明と地球の文明が融合した100年後の世界を創造した

 藤城清治

藤城 清治 (ふじしろ せいじ、1924年 大正 13年〉4月17日  - )は、日本の影絵 作家。キャラクター「ケロヨン 」の原作者としても知られる。東京府 東京都 )出身・目黒区 在住。ホリプロ (同社も目黒区に所在)とマネジメント契約を結んでいる

 藤田嗣治

第一次世界大戦 前よりフランス パリ で活動、を得意な画題とし、日本画 の技法を油彩画 に取り入れつつ、独自の「乳白色の肌」とよばれた裸婦像などは西洋画壇の絶賛を浴びた。エコール・ド・パリ の代表的な画家である

 松山 智一

上智大学卒業後 2002年渡米。NY Pratt Instituteを首席で卒業。ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションも手がける。作品には、東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象といった両極の要素が見られ、これは日本とアメリカの両国で育った松山自身の経験や情報化の中で移ろいゆく現代社会が反映されている。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて展覧会を多数開催。また、ロサンゼルス・カウンティ美術館、サンフランシスコアジア美術館、マイアミ・ペレス美術館、龍美術館、宝龍美術館、Microsoft コレクション、香港のK11 Art Foundation、ドバイ首長国の王室コレクション等に作品が収蔵されている。2012年から2017年5月までの5年間、School of Visual Arts(SVA)の非常勤教授を勤めた。2020年、JR新宿駅東口広場のアートスペースを監修、中心に7mの巨大彫刻を制作する。 2021年にはNHK「日曜美術館」で特集が組まれ、グローバルな活動と重層的な作品が高く評価される。現在はブルックリン・グリーンポイントにスタジオを構える。

 棟方 志功

棟方 志功(むなかた しこう、1903年(明治36年)9月5日  -  1975年(昭和50年)9月13日)は、日本の板画家。従三位。最晩年には約半年間、棟方志昂と改名した。
青森県青森市出身。川上澄生の版画「初夏の風」を見た感激で、版画家になることを決意。1942年(昭和17年)以降、棟方は版画を「板画」と称し、一貫して木版の特性を生かした作品を作り続け、その偉業から板画家として世界的に知られる。墨書や「倭画」(やまとえ)と名付けた肉筆画も残している

  村上 隆

日本の現代美術家 ポップアーティスト 映画監督 。有限会社カイカイキキ代表取締役、元カリフォルニア大学ロサンゼルス校 客員教授。学位は博士(美術) 東京芸術大学  1993年(平成5年)

森村 泰昌

1951年大阪市生まれ。大阪市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。 1985年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続ける。 1989年、ベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され、以降国内外で展覧会を開催する。
主な国内での個展に、「美に至る病/女優になった私」(横浜美術館1996)、「空想美術館/絵画になった私」(東京都現代美術館他1998)、「私の中のフリーダ」(原美術館2001)、「なにものかへのレクイエム/戦場の頂上の芸術」(東京都写真美術館他2010)など。文筆の仕事も多い。近著に「森村泰昌/全女優」「まねぶ美術史」「露地庵先生のアンポン譚」「対談 なにもかへのレクイエム/20世紀を思考する」など。 2006年、京都府文化功労賞、2007年度、芸術選奨文部科学大臣賞、2011年、第52回毎日芸術賞、日本写真協会賞、第24 回 京都美術文化賞を授賞。2011年秋、紫綬褒章を受章。

山口 晃

日本の伝統的絵画の様式を用い、油絵という技法を使って描かれる作風が特徴。都市鳥瞰図・合戦図などの絵画のみならず立体、漫画、インスタレーションなど表現方法は多岐にわたる。
近年の展覧会に、12年個展「望郷TOKIORE(I)MIX」(銀座メゾンエルメス フォーラム、東京)、15年「山口晃展 前に下がる 下を仰ぐ」(水戸芸術館現代美術ギャラリー、茨城)、18年個展「Resonating Surfaces」(Daiwa Foundation Japan House Gallery、ロンドン)等

山下 清

山下 清 (やました きよし、1922年 大正 11年)3月10日  - 1971年 昭和 46年)7月12日 )は、日本 画家 。代表作に、「花火」、「桜島」、「東海道五十三次」など

  横尾 忠則

横尾 忠則は、日本の美術家、グラフィックデザイナー、版画家、作家。2000年以降は、幼少期を過ごした故郷・兵庫県西脇市のY字路をモチーフに多くの絵画を描く。描いたY字路作品は150点以上。実弟の成瀬政博は画家・イラストレーター

  横山 大観

横山 大観(よこやま たいかん、正字体:大觀、1868年〈慶応4年 /  明治元年〉-  1958年〈昭和33年〉2月26日)は、日本の美術家、日本画家。本名は横山 秀麿(よこやま ひでまろ)。旧姓は酒井(さかい)。幼名は秀松(ひでまつ)。(生年月日については記録により小異がある。詳細は後述。)
常陸国水戸(現在の茨城県水戸市下市)出身。近代日本画壇の巨匠であり、今日「朦朧体(もうろうたい)」と呼ばれる、線描を抑えた独特の没線描法を確立した。帝国美術院会員。第1回文化勲章受章。死後、正三位勲一等旭日大綬章を追贈された

  LEON TERASHIMA 

独特な色使いとタッチで、数々の絵画を制作し、版画作品を中心とした個展を全国で開催中。リアリズムと独創性で描き出される作品は、版画だけでなく、様々なコラボレーション企画により、絵画以外にもアパレルや、各種グッズなどにも使用されている。また、黒柳徹子さんを描いた上記作品「PASSION OF TETSUKO」は、現在もテレビ朝日「徹子の部屋」の収録スタジオにて飾られている。また全国の大手ホテルや、病院、レストラン等でも多くの作品が飾られており、ファンには世界中の有名アーティストも多数。