会田 誠
会田 誠
(あいだ まこと、1965年10月4日
- )は、日本
の現代美術家、アーティスト
。ミヅマアートギャラリー
所属
。
新潟県立新潟南高等学校卒業後、代々木ゼミナール造形学校を経て、1989年東京芸術大学油画専攻卒業、1991年東京芸術大学大学院修了(油画技法材料第一研究室:佐藤一郎)。在学中に小沢剛、加藤豪らと同人誌『白黒』(1 - 3号)を発行。1993年、レントゲン藝術研究所で開催された「fo(u)rtunes part2」でデビュー。
2003年には、会田自身の制作を追ったドキュメンタリー映画『≒会田誠』(ビー・ビー・ビー株式会社)が公開。
2005年、写真「Girls Don't Cry 2003」の一つが香港クリスティーズにおいて9253ドル(約110万円)で落札された。
2012年11月10日には渡辺正悟監督によるドキュメンタリー映画『駄作の中にだけ俺がいる』が公開。2013年、第8回安吾賞受賞。
新潟県立新潟南高等学校卒業後、代々木ゼミナール造形学校を経て、1989年東京芸術大学油画専攻卒業、1991年東京芸術大学大学院修了(油画技法材料第一研究室:佐藤一郎)。在学中に小沢剛、加藤豪らと同人誌『白黒』(1 - 3号)を発行。1993年、レントゲン藝術研究所で開催された「fo(u)rtunes part2」でデビュー。
2003年には、会田自身の制作を追ったドキュメンタリー映画『≒会田誠』(ビー・ビー・ビー株式会社)が公開。
2005年、写真「Girls Don't Cry 2003」の一つが香港クリスティーズにおいて9253ドル(約110万円)で落札された。
2012年11月10日には渡辺正悟監督によるドキュメンタリー映画『駄作の中にだけ俺がいる』が公開。2013年、第8回安吾賞受賞。
荒川 修作
世界の著名な哲学者や分子生物学者に注目され2005年にはパリ第10大学で、2008年にはペンシルベニア大学で荒川修作+マドリン・ギンズをめぐる国際カンファレンスが開催。国内の諸々の講演会等においては宮崎駿、養老孟司、茂木健一郎、利根川進他、多くの分野の人々との場において芸術・科学・哲学などにわたる自身の深遠な知見に基づき際立って独特な印象を残す言い回しで語りかけた。近年ではテレビ・雑誌・webなどのメディアへの登場も少なくなく、出身小学校で授業を行うNHKの教育番組『課外授業 ようこそ先輩』に出演した際は、本人の記憶違いから出身校の名古屋市立御劔小学校ではなく同市立瑞穂小学校で収録が行われたが、局を批判する声にも「非難する方がおかしい。私は自分の名前もよく忘れる。」と意に介さなかった。2010年5月19日、ニューヨーク市内の病院にて死去。73歳没。また、2014年1月8日、妻のマドリン・ギンズが死去。
日本時間の2021年7月6日、Google Doodleで彼の作品「三鷹天命反転住宅」のイラストが紹介された。
日本時間の2021年7月6日、Google Doodleで彼の作品「三鷹天命反転住宅」のイラストが紹介された。
安藤 正子
安藤正子は1976年愛知県生まれ。2001年愛知県立芸術大学大学院美術研究科油画専攻修了。奈良美智や杉戸洋など、多くのアーティストに影響を与えた櫃田伸也のもとで絵画制作を学ぶ。主に鉛筆画と油彩画を手がけ、繊細な描線と、幾重にも塗り重ねた色彩で深い奥行きを表現。油彩画は、絵具を置いてはその都度、筆や手のひらで薄く叩き伸ばし、紙やすりで磨くことにより、磁器のように滑らかに仕上げた表面が特徴。自身のなかに蓄積する記憶や言葉の断片と現実の事象とを織り交ぜながら、子供や動物、昆虫、草花などの生き物を描く。主な個展に「ハラ ドキュメンツ9 安藤正子―おへその庭」(原美術館、東京、2012)、「Songbook」(8/ ART GALLERY/ Tomio Koyama Gallery、東京、2016)など
岡本 太郎
日本の芸術家。
1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。
1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、通産官僚の堺屋太一ら主催者(国)は紆余曲折の末、テーマ展示のプロデューサー就任を要請した。岡本は承諾すると、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、出来上がったのが『太陽の塔』であった。
この日本万国博覧会は各方面に影響を与えた。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』の永久保存が決定。現在も大阪万博のシンボルとして愛されている。同時期に制作されたのが、前述の『明日の神話』であり、制作依頼者である実業家の破産の影響で長らく行方不明となっていたが、21世紀に入り発見される
1930年(昭和5年)から1940年(昭和15年)までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも接触した。
1970年(昭和45年)に大阪で万国博覧会が開催されることが決まり、通産官僚の堺屋太一ら主催者(国)は紆余曲折の末、テーマ展示のプロデューサー就任を要請した。岡本は承諾すると、「とにかくべらぼうなものを作ってやる」と構想を練り、出来上がったのが『太陽の塔』であった。
この日本万国博覧会は各方面に影響を与えた。1975年(昭和50年)、『太陽の塔』の永久保存が決定。現在も大阪万博のシンボルとして愛されている。同時期に制作されたのが、前述の『明日の神話』であり、制作依頼者である実業家の破産の影響で長らく行方不明となっていたが、21世紀に入り発見される
鴻池 朋子
鴻池朋子は1960年秋田県生まれ。東京藝術大学美術学部絵画科日本画専攻卒業。玩具、雑貨の企画デザインに携わった後、98年よりアーティスト活動を開始。絵画、彫刻、アニメーション、絵本などの手法を駆使したインスタレーションで現代の神話を描き、おとぎ話研究、考古学、人類学などと協働したプロジェクトを重ね、芸術への問い直しを試みている。
また、現在の秋田の物語や地形、山や森の情報を集めて再編集する「東北を開く神話」展、秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」、歴史には記されない現代の民俗を記録する「物語るテーブルランナー」などの継続的なプロジェクトを各地で行う。そのほか、独自のキャラクターが登場するアニメーションや絵本の制作、小説の挿絵、展覧会企画なども展開。
また、現在の秋田の物語や地形、山や森の情報を集めて再編集する「東北を開く神話」展、秋田の山小屋に作品を設置するプロジェクト「美術館ロッジ」、歴史には記されない現代の民俗を記録する「物語るテーブルランナー」などの継続的なプロジェクトを各地で行う。そのほか、独自のキャラクターが登場するアニメーションや絵本の制作、小説の挿絵、展覧会企画なども展開。
加山又造
1927年、京都府京都市上京区相国寺東門前町に西陣織の図案家加山勝也の子として生まれる。京都市立美術工芸学校(現
京都市立銅駝美術工芸高等学校ならびに京都市立芸術大学)、東京美術学校(現
東京芸術大学)を卒業。山本丘人に師事。1950年、春季創造美術展に「自画像」「動物園」が初入選、研究会賞を受賞。1966年多摩美術大学教授、1988年東京芸術大学教授に就任。東京芸術大学名誉教授。日本画の伝統的な様式美を現代的な感覚で表現し、「現代の琳派」と呼ばれた[1]。1970年代末からは水墨画にも取り組んだ。1997年文化功労者に選ばれ、2003年文化勲章を受章。2004年、肺炎のため東京都の病院で死去。
近藤亜樹
2012年東北芸術工科大学大学院実験芸術学科修了。出会った人々や物、場所の記憶や感動を原動力に絵画作品を制作。映画制作やミュージシャンとのライブペイント、ホテルの客室での壁画制作など、形式にとらわれない作品発表やパフォーマンスでも知られる。2015年に初監督作品『HIKARI』が公開。主な個展に「たべる 地球」(シュウゴアーツ、東京、2012)、「近藤亜樹の生態」(実家 JIKKA、東京、2013)、「Works on paper 2011-2014」(シュウゴアーツ、2014)、「HIKARI」(シュウゴアーツ、2015)、「Artist」(シュウゴアーツ ウィークエンドギャラリー、東京、2015)、「HIKARI」(大和日英基金 大和ジャパンハウス、ロンドン、2016)、「From Island to Island」(TKG+、台北、2017)、「Grow Wings」(銀座蔦屋書店 アートウォールギャラリー、2018)、「飛べ、こぶた」(シュウゴアーツ、2017)、「あの日を待つ 明日を待つ 今日」(シュウゴアーツ、2018)、「ここにあるしあわせ」(シュウゴアーツ、2021)、「星、光る」(山形美術館、2021)、「わたしはあなたに会いたかった」(シュウゴアーツ、2023)、グループ展に、「高松市美術館コレクション+ 身体とムービング」(高松市美術館、香川、2020)など。「あいち2022」に参加。「PHANTOMS OF ASIA: Contemporary Awakens the Past」(Asian Art Museum、サンフランシスコ、2012)では東日本大震災を経験した後に描いた10メートルを超える大作《山の神様》(2011)が出展され話題を呼んだ。
坂本 夏子
坂本夏子は2012年に愛知県立芸術大学大学院美術研究科博士後期課程を修了。「絵画の庭 - ゼロ年代日本の地平から」(2010年・国立国際美術館、大阪)、「魔術/美術 - 幻視の技術と内なる異界」(2012年・愛知県美術館、愛知)、「であ、しゅとぅるむ」(2013年・名古屋市民ギャラリー矢田、愛知)、「はじまり、美の饗宴展すばらしき大原美術館コレクション」(2016年、国立新美術館、東京) など多数のグループ展に参加するほか、3ヶ月の滞在制作を経て行われた個展「ARKO 2013 坂本夏子」(2013年、大原美術館、岡山) も開催された。
これまで坂本の歪む空間とその世界観を強固にする独特の色彩、永遠に終わらない奇妙な戯曲の中に生きているかのような少女達は、わたしたちの中に強い印象を残してきた。そして2012年以後、絵画に宿る物語性を一歩後退させ、描く行為を前景化した表現へと変化し、坂本が常に問題意識として持っている、絵画の中にしか表すことができない空間への興味がさらに推し進められていく。それは、絵を描くという行為自体の反芻であり、絵画の普遍的な器としての美や強度を試す実験であると言えよう
これまで坂本の歪む空間とその世界観を強固にする独特の色彩、永遠に終わらない奇妙な戯曲の中に生きているかのような少女達は、わたしたちの中に強い印象を残してきた。そして2012年以後、絵画に宿る物語性を一歩後退させ、描く行為を前景化した表現へと変化し、坂本が常に問題意識として持っている、絵画の中にしか表すことができない空間への興味がさらに推し進められていく。それは、絵を描くという行為自体の反芻であり、絵画の普遍的な器としての美や強度を試す実験であると言えよう
笹倉 鉄平
笹倉 鉄平(ささくら てっぺい、1954年11月7日
- )は、兵庫県出身の画家。「光の情景画家」と称され、様々な表情の光があふれる画風は、写実的でありながらも想像性に富み、"心が安らぐ"絵として、老若男女幅広いファン層を持ち、多くの支持を得ている。
画家デビュー以来、220作品以上の版画作品をはじめ、画集、詩画集、版画集、DVD作品集等が出版され、ポスターやポストカード、ジグソーパズル、カレンダー等のアートグッズも高い人気を保持し現在に至っている。
デビューから30年以上に渡り毎年、全国有名百貨店での個展・展覧会を多数開催。近年では、フランス、中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を美しい情景画として表現し世界へ伝えている。
画家デビュー以来、220作品以上の版画作品をはじめ、画集、詩画集、版画集、DVD作品集等が出版され、ポスターやポストカード、ジグソーパズル、カレンダー等のアートグッズも高い人気を保持し現在に至っている。
デビューから30年以上に渡り毎年、全国有名百貨店での個展・展覧会を多数開催。近年では、フランス、中国、イタリア等での展覧会も成功を収め、日本の良さや日本人の優しさ・美意識等を美しい情景画として表現し世界へ伝えている。
塩田 千春
生と死という人間の根源的な問題に向き合い、「生きることとは何か」、「存在とは何か」を探求しつつ、その場所やものに宿る記憶といった不在の中の存在感を糸で紡ぐ大規模なインスタレーションを中心に、立体、写真、映像など多様な手法を用いた作品を制作。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。
森美術館(2019年)、南オーストラリア美術館(2018年)、ヨークシャー彫刻公園(2018年)、K21-ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館(2016年)、高知県立美術館(2013年)、丸亀猪熊源一郎現代美術館(2012年)、国立国際美術館(大阪、2008年)を含む世界各地での個展のほか、シドニー・ビエンナーレ(2016年)、瀬戸内国際芸術祭(2010年)、キエフ国際現代美術ビエンナーレ(2012年)、横浜トリエンナーレ(2001年)などの国際展にも多数参加。
2008年、芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2015年には、第56回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家として選出される。
森美術館(2019年)、南オーストラリア美術館(2018年)、ヨークシャー彫刻公園(2018年)、K21-ノルトライン・ヴェストファーレン州立美術館(2016年)、高知県立美術館(2013年)、丸亀猪熊源一郎現代美術館(2012年)、国立国際美術館(大阪、2008年)を含む世界各地での個展のほか、シドニー・ビエンナーレ(2016年)、瀬戸内国際芸術祭(2010年)、キエフ国際現代美術ビエンナーレ(2012年)、横浜トリエンナーレ(2001年)などの国際展にも多数参加。
志摩 欣哉
1943年 大阪に生まれる。
1961年 中央美術学園にて油彩画を学ぶ。
この頃より詩作を始める。
1963年 個人詩誌を刊行。美術コンクール等に出品。
1981年 パリに遊学しパリの街を描いた油彩画で個展。
1985年 美術企画プロモーターとして活動を開始。
1994年 この頃より宮沢賢治の童話を絵画化して個展を各地で開催。
同時に朗読イベントも開く。
2001年 テレビ出演
京都「花の里を訪ねて」関西テレビ
京都「鞍馬の火祭」関西テレビ
シリーズ「お能に行こう」12回番組
2011年 京都三条ラジオカフェにて
「朗読カフェの時間
です」プデュ212013
年
志摩 欣哉朗読20周年ライブ
「賢治へのイマージュ」開催出演
現在、彼は、宮沢賢治の詩や童話を素材にした絵あるいは、
お地蔵さんをテーマにした作品などを中心とした個展、また詩や絵本の朗読イベントで活動を続けています。
鈴木 英人
1980年頃からイラストレーターとして活動を始める。鈴木のイラストは、『タンタン』の作者であるエルジェや、わたせせいぞうのように、グラデーションを実線で表すリーニュクレール様式が一つの特徴となっており、作中では車や海岸といったモチーフが良く使われる。 特に初期の作品ではアメリカ西海岸を思わせる風景をモデルにしたイラストが多い。また、わたせや永井博のイラストとともに1980年代を象徴するイラストレーターとして認知されている。1982年には、ロックバンドのヒューイ・ルイス&ザ・ニュースのアルバム『ベイエリアの風』の日本版のジャケットのイラストを製作した。ダイヤモンド社が発行していたFM情報誌『FM STATION』では1981年の創刊(プレ版を入れるとその前年)から1988年まで表紙を担当し、同誌の顔として広く人気を集めた。その他、東京書籍の英語教科書『NEW HORIZON』の表紙(1984年 - 1986年)、トヨタ自動車の乗用車「カリーナ」のカタログ表紙(1983年 - 1984年)、ライオンの男性向けシャンプー「TOP BOY」(絶版)のラベルイラストも手がけた。また、山下達郎、堀井勝美プロジェクトのジャケットデザインを数多く手がけており、山下のアルバム『FOR YOU』のジャケットは特に有名である。長年居住する逗子市の海岸をイメージしたイラストが、逗子市の公式ポスターに用いられている。
辰野 登恵子
長野県岡谷市に生まれる。1968年、長野県諏訪二葉高等学校を卒業。同年、東京芸術大学美術学部に入学。大学時代に柴田敏雄(写真家)や鎌谷伸一(版画家)とともにグループ「コスモス・ファクトリー」を結成。名前は、彼らが好きだったクリーデンス・クリアウォーター・リバイバルのアルバム『Cosmo's Factory』(1970年)からとられた。アンディ・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグの影響を受けた写真製版によるシルクスクリーンをいち早く試みる。1970年、村松画廊で初めての展覧会を開催[4]。1972年、同大学美術学部絵画科油画専攻を卒業。1974年、同大学大学院修士課程を修了。
1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた。
1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
2003年、多摩美術大学客員教授となる。2004年、同大学教授となる。
2013年1月1日、第54回毎日芸術賞を受賞。
2014年9月29日、転移性肝癌のため死去。64歳没
1974年から1975年まで、同大学美術学部版画科の助手を務めた。
1996年、第46回芸術選奨文部大臣新人賞を受賞。
2003年、多摩美術大学客員教授となる。2004年、同大学教授となる。
2013年1月1日、第54回毎日芸術賞を受賞。
2014年9月29日、転移性肝癌のため死去。64歳没
谷口 智則
2004年『サルくんとお月さま』で絵本作家としてデビュー後、フランスで絵本『CACHE CACHE』を始め数々の絵本を出版。その後イタリア、台湾、中国、カンボジアなど海外でも数々の絵本を出版し活動している。絵本以外にも、広告やパッケージデザイン、商業施設の空間プロデュースなど多方面で活躍中。主な絵本に『100にんのサンタクロース』『サルくんとバナナのゆうえんち』など。
『くいしんぼうのクジラ』で第9回、『カメレオンのかきごおりや』で第12回ようちえん絵本大賞受賞。
大阪府四條畷市のPR大使も務め、四條畷神社参道に自身のギャラリーカフェzoologique(ズーロジック)も運営している。
「絵本作家 谷口智則展〜いろがうまれるものがたり〜」がふくやま美術館を皮切りに全国巡回中。
『くいしんぼうのクジラ』で第9回、『カメレオンのかきごおりや』で第12回ようちえん絵本大賞受賞。
大阪府四條畷市のPR大使も務め、四條畷神社参道に自身のギャラリーカフェzoologique(ズーロジック)も運営している。
「絵本作家 谷口智則展〜いろがうまれるものがたり〜」がふくやま美術館を皮切りに全国巡回中。
永井 博
徳島県徳島市出身。1970年からグラフィックデザイナーとして仕事を始め、1973年夏にアメリカへ40日間の旅行に出掛け、1974年にグアム島へ旅して風景に感銘を受け、以降の作風の原点となった。1975年からイラストレーターの湯村輝彦より指導を受け、1978年に独立する。1980年代以降に、大瀧詠一の『A LONG VACATION』、『NIAGARA SONG BOOK』などのレコードジャケットに代表されるトロピカルでクリアな風景イラストレーションを手がける。『A LONG VACATION』のジャケットは、CBSソニーより「アルバムジャケット特別賞」としてゴールドディスクを受賞した。大瀧のレコードジャケットによって独自の地位を築き、その他、サザンオールスターズ、松岡直也、石黒ケイ、藤原ヒロシと川辺ヒロシ、憂歌団、杉山清貴、西城秀樹など、多くのアーティストのレコード・CDジャケットを手掛ける。近年はAORのコンピレーション『breeze』シリーズ、ikkubaru『Amusement Park』、『brighter』、TEEN RUNNINGS『NOW』、サニーデイ・サービス『DANCE TO YOU』のジャケットのアートワークを担当した。
東山魁夷
1999年、老衰のため90歳で死去、従三位、勲一等瑞宝章。生前、日展への出品作など代表作の多くを東京国立近代美術館と長野県に寄贈。長野県は長野県信濃美術館(現長野県立美術館)に「東山魁夷館」(谷口吉生設計)を増設し、寄贈された作品の常設展示にあてている。その他、少年時代を過ごした神戸市にある兵庫県立美術館、祖父の出身地である香川県坂出市の「香川県立東山魁夷せとうち美術館」にも、版画を中心とする作品が寄贈されている[7]。戦後の復員直後から死去するまで暮らしていた千葉県市川市には、自宅に隣接して「市川市東山魁夷記念館」が開館した。また、美術学校時代のキャンプ旅行の途中、激しい夕立に遇った際に温かいもてなしを受けたことに感謝して後に寄贈された約500点の版画を収蔵する「東山魁夷 心の旅路館」が、岐阜県中津川市(旧長野県木曽郡山口村)にある。
2000年、福岡、東京や名古屋でパリ展帰国記念東山魁夷展。信濃美術館で東山魁夷館10周年記念展東山魁夷の世界。2004年、横浜美術館で東山魁夷展ひとすじの道。2005年、坂出市沙弥島で香川県立東山魁夷せとうち美術館開館記念展。市川市で市川市東山魁夷記念館開館記念特別展。2008年、東京、長野で生誕100年東山魁夷展。2018年、東京、京都で生誕110年東山魁夷展。
2000年、福岡、東京や名古屋でパリ展帰国記念東山魁夷展。信濃美術館で東山魁夷館10周年記念展東山魁夷の世界。2004年、横浜美術館で東山魁夷展ひとすじの道。2005年、坂出市沙弥島で香川県立東山魁夷せとうち美術館開館記念展。市川市で市川市東山魁夷記念館開館記念特別展。2008年、東京、長野で生誕100年東山魁夷展。2018年、東京、京都で生誕110年東山魁夷展。
松山 智一
上智大学卒業後 2002年渡米。NY Pratt Instituteを首席で卒業。ペインティングを中心に彫刻やインスタレーションも手がける。作品には、東洋と西洋、古代と現代、具象と抽象といった両極の要素が見られ、これは日本とアメリカの両国で育った松山自身の経験や情報化の中で移ろいゆく現代社会が反映されている。世界各地のギャラリー、美術館、大学施設等にて展覧会を多数開催。また、ロサンゼルス・カウンティ美術館、サンフランシスコアジア美術館、マイアミ・ペレス美術館、龍美術館、宝龍美術館、Microsoft コレクション、香港のK11 Art Foundation、ドバイ首長国の王室コレクション等に作品が収蔵されている。2012年から2017年5月までの5年間、School of Visual Arts(SVA)の非常勤教授を勤めた。2020年、JR新宿駅東口広場のアートスペースを監修、中心に7mの巨大彫刻を制作する。 2021年にはNHK「日曜美術館」で特集が組まれ、グローバルな活動と重層的な作品が高く評価される。現在はブルックリン・グリーンポイントにスタジオを構える。
森村 泰昌
1951年大阪市生まれ。大阪市在住。京都市立芸術大学美術学部卒業、専攻科修了。
1985年、ゴッホの自画像に扮するセルフポートレイト写真を制作。以降、今日に至るまで、一貫して「自画像的作品」をテーマに作品を作り続ける。
1989年、ベニスビエンナーレ/アペルト88に選出され、以降国内外で展覧会を開催する。
主な国内での個展に、「美に至る病/女優になった私」(横浜美術館1996)、「空想美術館/絵画になった私」(東京都現代美術館他1998)、「私の中のフリーダ」(原美術館2001)、「なにものかへのレクイエム/戦場の頂上の芸術」(東京都写真美術館他2010)など。文筆の仕事も多い。近著に「森村泰昌/全女優」「まねぶ美術史」「露地庵先生のアンポン譚」「対談 なにもかへのレクイエム/20世紀を思考する」など。 2006年、京都府文化功労賞、2007年度、芸術選奨文部科学大臣賞、2011年、第52回毎日芸術賞、日本写真協会賞、第24 回 京都美術文化賞を授賞。2011年秋、紫綬褒章を受章。
主な国内での個展に、「美に至る病/女優になった私」(横浜美術館1996)、「空想美術館/絵画になった私」(東京都現代美術館他1998)、「私の中のフリーダ」(原美術館2001)、「なにものかへのレクイエム/戦場の頂上の芸術」(東京都写真美術館他2010)など。文筆の仕事も多い。近著に「森村泰昌/全女優」「まねぶ美術史」「露地庵先生のアンポン譚」「対談 なにもかへのレクイエム/20世紀を思考する」など。 2006年、京都府文化功労賞、2007年度、芸術選奨文部科学大臣賞、2011年、第52回毎日芸術賞、日本写真協会賞、第24 回 京都美術文化賞を授賞。2011年秋、紫綬褒章を受章。